日々の献立 番外編 11月 〜その2〜



昨日からの続きです。
というかちょっと話は飛躍するんだけど、
私が日本に帰国する場合、仕事の都合で都心のホテルに滞在します。
で、通勤時間帯に窓から見下ろすと、マスゲームが見える。
同じ色の服を着て、同じ方角に、一糸乱れぬ動きで人が行進して行く。
それは音の無いデジタルアートのよう。

そして私は、かつて自分も属していたその世界を眺めながらいつも思う。
これだけ人と人との距離が接近していれば、
見る必要の無いものが見え、感じる必要の無いものを感じて、
苛立ったり、不安になったり、劣等感を持ったり、
疎外感を感じてしまう人も多いのだろうなあと。

他人の衣服や持ち物の値段、
人間(動物)なら当たり前に持っている体臭、
隣人の収入、バケーションの過ごし方、家庭環境、、、、
それらが一瞬で見えるほど、隣人との距離が近く、
その上多くの人が殆ど同じ時間に同じ行動をしているのが、
国内に時差の無い国、日本。

一方私の住むアメリカは、ご存知の通り国内に時差が有る。
日本のように祝日が多くないから、
それぞれが都合に合わせて休暇をとる。
だから働く時間も、休日もバラバラ。
宗教も民族も入り乱れているから、
正月も安息日も建国記念日も てんでんバラバラ。

バーテンダーのオフィスでは、
東海岸を担当している営業は朝5時前に出社している。
西海岸の午前5時は東海岸の午前8時で稼働時間なのでそれが普通。
その代わり、こちらの午後3時、東海岸時間の午後6時を過ぎれば、
仕事が無くなるので、さっさと帰宅する。
同じくヨーロッパやアジアにも、それぞれの時間が流れ、
それに合わせて仕事の緊張のピークが異なるので、
結局オフィスが暗闇になる時間は短い。

レストランで食事をするのも、マーケットで買い物するのも、
ジムに行くのも、テレビを見る時間もそれぞれ違う。
通勤途中で見ている景色も違うし、
宗教によって、子供が通う学校が異なることも多い。
なもので、長年共に働いていても、時にお互いの話が噛み合わない。
共通な部分だけを持ち寄って、むやみに踏み込まなければ上手く行く。
学生生活を終え社会に出て、そういった環境で働いているうちに、
「人はそれぞれ違う」ということが骨身に焼きつくのだろう。
他人は他人だ。良くも悪くも。

それでは日々の献立番外編の続きです。
b0332557_04075487.jpg
ソース焼きそば

b0332557_04085059.jpg
ガーリック炒飯 / 春巻き添え
ワカメスープ

b0332557_04095505.jpg
ガーリックポーク / タイスタイル
豚汁
b0332557_04104719.jpg
トマトのハニーバルサミックマリネ
生ハムとペコリーノの盛り合わせ
b0332557_04124939.jpg
麻婆豆腐

b0332557_04144972.jpg
麻婆カレー
グリーンサラダ / ジンジャードレッシング
※この麻婆カレーは前日の麻婆豆腐残りをスープで伸ばして、
市販のカレールーを加えて作るカレーです。
我が家では麻婆豆腐の翌日の定番。美味しいです。
余った麻婆豆腐とカレールーと勇気の有る方は一度お試し下さい。


結局バーテンダーと私の会話は、きょうの料理の食材から、
日本とアメリカの違いにまで拡大してしまったわけなんだけど、
最終的には「日本は弾かれやすい国だ」という所にたどり着きました。

日本人の真面目さや向上心の強さ、
協調性を尊ぶ意識の高さから、
理想追求型のハイスタンダードによって、
いつの間にか はじき出されてしまう人がいたら悲しい。
日本は識字率も極めて高く、
衛生、道徳観念も最高レベルに間違いない。
でもそれは裏を返せば普通に暮らしていても、
ふとしたきっかけで、落ちこぼれる可能性が有るということ。

もっと具体的に言えば、
「家族の健康を考えたら、国産の食材意外怖くて買えないわねえ」
と誰かが大きな声で言い始めた途端、
安価な輸入食材を、知り合いが見ていないかどうか
確認しながら買わなくてはならない人が出てくるような、
私から見たら実に下らないスタンダードが、
人を弾き出すような現象。
人には皆それぞれの事情が有る。

キュウリには真っ直ぐなものもU字に曲がったものも有ることや、
少しくらい萎びた大根だって、調理次第で立派なおかずになることや、
オイスターソースが無くても中華料理風は作れることや、
最高級の食材で料理することだけが、
家族の健康を考えている証なのではないことや、
着ているものの値段が、
社会に対する責任感の高低を測る物差しでは無いことや。。。

そして何より、一般論として正しいと思われる行動や、
誰の目から見ても理想的と思われる行動であっても、
それを声高に主張することで、
今はそれが行えない状況にある一部の人を、
無意識のうちに はじき出してしまう可能性が有ることを、
私はせめて身内の若い衆ぐらいにはに伝えたいと思う。

なぜ伝えたいか?

物には様々な形が有って、
世界には様々な考え方の人がいることを知ることで、
この世に例外や規格外など存在しないことが解るからだ。
絶対的に正しいことや、絶対的に間違ったことより、
ケースバイケース、どちらでも無いことの方が、
この世にはずっとずっと多いという事実を、
心の底から理解できるからだ。
それが解れば、他人にも自分にも寛大になれる、
人は人自分は自分、と笑って暮らせるからだ。

最後に、私がNHKのきょうの料理をこよなく愛していることと、
講師の先生方のお料理に対する情熱に、
心から敬意を払っていることを付け加えておきます。
これからも見るもんね (^_−)−☆

おしまい。


[PR]